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第7章

杀意的定时炸弹北阿尔卑斯涸沢山杀人事件(日文版)-第7章


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出発してから、ここまでで出会った登山者は一人もいない。共に罚Ц撙味牼を目指すル趣扦ⅳ毪摔忾vわらず、上高地、新罚Ц撙绕鸬悚悿胜毪坤堡恰ⅳ长欷郅嗓蓼扦瞬瞍ⅳ毪趣纤激铯胜盲俊¥长欷⒛妞松细叩丐椁坤盲郡椤⑺耍à窑龋─瘸龌幛铯胜い瑜Δ摔工胧陇畏饯yしい。これなら、このル趣蛏钌饯人{沢が歩いたとしても、他人に見られた可能性はとても低かった事だろう。

 午前11時過ぎ、重太郎橋に着く。「重太郎橋」なんて言うと、さぞや立派な橋が架(か)かっていると思われるかも知れないが、実際には角材を番線で束(たば)ねたものが白出沢の流れの上に渡されているだけだ。しかも、大雨の時や雪解けで沢の水量が多い時には橋は水没。ここを渡るのが困難になると言うのだから恐れ入る。幸い、ここ数日晴天続きで、雪解けの時期でも無い事から、沢の水量はそれ程でも無い。何の苦も無く渡れたのはいいが、一難去って又一難。橋の次は回廊だ。左側は垂直な岸壁、右側は切り立った断崖。幅1メ去氤踏蜗沥せ乩趣瑫氦Aくのだが、所々に設置された標識には、「落石注意、速(すみ)やかに通過せよ」等と書かれている。実際、比較的新しい崩落跡にも遭遇した。ここではゆっくり休む事すら出来ない。腰を下(お)ろして休みたいのは山々だが、先へと進む。

 回廊を抜け樹林帯の急登(きゅうとう)を進む。次第に沢の流れる音も遠ざかり、突然、見渡す限り一面のガレ場が目の前に現れた。横には、いつ頃、うち捨てられたのかも分からない朽(く)ち果(は)てた小屋がポツンとある。腕時計に目をやれば、正午はとうに過ぎている。荷継小屋跡へと到着したのだ。

 深山荘で用意してもらった弁当を食べ終わった俺は、ル劝改诎澶虼_認する。なるほど、涸沢岳の南西尾根を挟んで左右に似たような二つのガレ場が稜線へ向かって続いている。罚Ц咴郎角Pの建つ白出のコルへは右奥の白出沢のガレ場を登らなくてはならないが、ここへ初めて来た者にとっては、左手前の荷継沢のガレ場を登りたくなる道理も良く分かる。ル劝改诎澶瑹oければ、恐らく俺ですら何も考えずに、手前の荷継沢を登るだろう。ましてや、案内板に細工がされていたとすれば尚更(なおさら)の事だ。とは言え、今日は白出のコルへ向かうのが目的では無い。耍麤gの滑落遺体が発見された涸沢岳沢へと向かわねばならないのだ。

 荷継沢を登り始めて、そろそろ1時間。右側に別のガレ場が現れた。荷継沢自体、一般の登山ル趣扦蠠oいから、周囲を見渡してもル劝改诎宓取ⅳ嗓长摔庖姷堡郡椁胜ぁH·瓿訾筏康貒恧蛞姢欷小ⅳ嗓Δ浃椁长欷詻g岳沢のようだ。俺はこのガレ場を登る事にした。

 涸沢岳沢を登る事、2時間。見上げれば罚Ц撙味牼と正面に一つのピ姢à搿?证椁稀ⅳⅳ欷詻g岳なのだろう。更に14分ほど登ると、ガレ場に赤いペンキで何やらマ螗挨丹欷皮い搿=钉い皮撙毪取ⅰ浮痢褂·取200X。10。11」と日付が書かれている。

「ここだ!」

 遂に蓿曜扭い俊¥长长怂{沢の滑落遺体が横たわっていたのだ。暫く周囲をうろついてはみたが、遺体発見から既に10日。警察の実況見分も終了し、事故死として処理されてしまった後(あと)の事だ。現場には何も残っていない。そこで俺は更に先へと進み、何とか涸沢岳頂上から伸びる支稜の一つへと登り詰めた。

「耍麤gと深山がこのガレ場を通ったとすれば、よくも登ったものだ???」

 一般の登山ル趣扦蠠oいのだから、全く整備等されていない。ル劝改诎澶夂韦鉄oく、ここまで上がるには勘を頼りにせざるを得なかった筈だ。

 俺は休憩がてら周囲を見渡してみる。南には涸沢岳頂上から続く南西尾根が伸び、罚Ц咴郎角Pからは死角になっている。北には鳥も通(かよ)わぬと称される大岸壁、滝谷(たきだに)へと合流する幾つもの沢筋が深く刻まれ、人の侵入を頑(かたく)なに拒(こば)んでいる。更に枺悉妊预à小⒑詻g槍をはじめとする険(けわ)しい岩稜(がんりょう)帯が幾重(いくえ)にも連(つら)なり、往来(いきき)する登山者にしてみれば、とても余所見(よそみ)等している暇は無い。とすると、深山にとって耍麤gに危害を加えるには、ここは最高の場所だったに摺い胜ぁ?证椁⑸钌饯舷趣摔长沃Ф牑剞{り着き、下から続いて上がって来た耍麤gを稜線に登り詰める直前で突き飛ばし、ガレ場へと滑落させたのだろう。あとは耍麤gが落ちた場所まで再び下(くだ)り、身動き出来ないでいる耍麤gの後頭部を岩へと打ち付けトドメを刺せば、稜線から滑落し斜面の岩に頭を強打しての事故死にしか見えない。場所が場所だけに目撃者の心配も無い。耍麤gの絶命を確認した深山は、その儘、涸沢岳沢から荷継沢を下(くだ)り、あらかじめ荷継小屋跡で細工しておいたル劝改诎澶蛟藨筏菩路'高へと下山。仱盲皮孔苑证诬嚖菛|京へと戻れば、週明けの翌日、何食(く)わぬ顔で出社出来た筈だ。

第11章 最後に残されたトリック

美と健康サロン YOSHINO
山梨県富士吉田市のアットホ啶圣ē攻匹匹%氓骏单恁螭扦埂
yoshino…salon@venus。san。ne。jp
富士急行線 寿駅近く
電話 090…2537…3405
(不定休?要予約) 
 
 午後5時、俺は涸沢岳頂上を越え、標高2996メ去搿壮訾违偿毪私à姆'高岳山荘へと着いた。本当は小山のいる北罚Ц咝∥荬蓼切肖郡盲郡韦坤r間的にそれは無理だ。今夜は、ここを宿にしよう。

 罚Ц咴郎角Pは罚Ц哌B峰の十字路的存在だ。山荘を中心に南北を罚Ц哌B峰の主稜線が走り、北は涸沢岳、北罚Ц咴馈⒈饱ⅴ毳抓褂惺侮撀贰⒋螗欹氓趣蚪Uて槍ヶ岳へと至り、南は富士山、北岳に次ぐ日本第3位の高峰、標高3190メ去毪伟路'高岳が罚Ц撙蚊酥鳏趣筏坡枺à饯樱─ā⒏摔锨胺'高岳や、日本でも屈指の難易度を誇るジャンダルムから西罚Ц咴坤丐慰k走路が続く。一方、枺膝顶ぅ匹螗哎椹‘トの岩稜から涸沢を経て上高地へ、西は白出沢から西俣林道を経て新罚Ц撙丐戎沥搿I角Pの窓からは、遠く枺衰豫楗撺昆毪食D钤溃à袱绀Δ亭螭坤保⑽鳏摔巷w騨の名峰、笠ヶ岳(かさがたけ)の雄姿を拝す。ロケ伐绁蟮膜摔险俗罡撙馈

 夕食を終え消灯までの暫しの時間、岳人(がくじん)達が薪(まき)スト证驀欷螭巧秸劻x(やまだんぎ)に花を咲かせている。その同じ山、しかも目と鼻の先で、ほんの10日前、人一人が殺されたのかも知れない等と一体誰が想像するだろうか? 俺は彼らを見ながら、眩jな思いで一杯だった。

 10月22日、木曜日── 。

 俺は朝食を済ませると、再び涸沢岳へと向かった。今日は新罚Ц撙丐认拢à溃─朐Uだから、本当は罚Ц咴郎角Pから、その儘、白出沢のガレ場を下ればいいのだが、昨日、稜線へと取り付いた涸沢岳の支稜を起点に、新罚Ц撙蓼扦嗡獣r間を実測しようと考えたのだ。

 午前7時に涸沢岳の支稜をスタ趣筏啤⑿路'高へ下山したのは午後1時過ぎ。およそ6時間だ。耍麤gを殺した深山が現場をいつ頃立ち去ったのかは分からないが、夜の闇に包まれた中での行動になった事だけは間摺い胜ぁ5比弧ⅴ廿氓丧楗ぅ趣嫌靡猡筏皮い抗Qだ。それに、6時間かかったとは言え、白出沢出合から新罚Ц撙蓼扦1時間半は緩慢(かんまん)な林道歩きだ。白出沢出合まで無事下(お)りる事が出来れば、あとは何とでもなる。夜間の行動とは言え、人一人を殺す事に比べれば造作(ぞうさ)も無かっただろう。これで、10月11日の謎も解けた。しかし、それでも越えねばならない最後のトリックがまだ残されている。それをどうやって突き崩していくか???

 新罚Ц撺啸攻咯‘ミナル前の日帰り温泉で急ぎ汗を流し、慌ただしく昼食を済ませた俺は、午後1時55分発のバスへと飛び仱搿M局小⑵綔氯莵り換え、松本バスタ撺圣毪刈扭い郡韦衔玑4時半。俺は3日前と同じ松本駅近くのホテルへとチェックインした。

 最後に残されたトリック。それは登山届の謎だ。10月9日、金曜日。上高地インフォメ伐绁螗互螗咯‘に出された登山届は紛(まぎ)れもなく耍麤g本人が書いたものだ。そこには、同日に涸沢小屋、10日、土曜日に北罚Ц咝∥荬丐嗡薏从瓒à瑫臁ⅰ杆{沢俊英」を名仱牒握撙瑢g際に泊まってもいる。一方、耍麤g本人は前日の8日、木曜日の深夜、松本駅近くのホテルへとチェックインし、登山届が上高地インフォメ伐绁螗互螗咯‘に出された9日も連泊。松本を発ったのは10日だが、その日は平湯温泉の宿に泊まっている。そして、平湯温泉の宿を早朝チェックアウトした11日、日曜日の午後、涸沢岳沢で遺体となって発見されたのだ。つまり、登山届は耍麤g本人によって書かれたものだが、いつの時点の事かは分からないが、彼の手を離れて別人の手へと渡り、その人物が北罚Ц咝∥荬厮薏搐工毪蓼恰杆{沢俊英」を演じていた事になる。それは一体誰なのか? 深山は、登山届が出された9日は六本木ヒルズのヌ佶毳些‘グへと出社し、10日の夜は平湯温泉の宿で耍麤gと同宿、11日の早朝、耍麤gと共にチェックアウトし、その日の午後、彼を殺害した筈だから、9日に登山届を上高地インフォメ伐绁螗互螗咯‘へと出す事は物理的に不可能なのだ。だとすると、深山には共犯がいた事になる。それは一体誰なのか? そして、何故、耍麤g殺しになど荷担したのだろうか?

 10月23日、金曜日── 。

 俺は登山届の謎に悶々としながらホテルをあとにした。今日は新罚Ц咝肖轻幔àⅳ龋┗丐筏摔筏皮い勘贝蹇德·蛟Lねようと思う。

 ホテルをチェックアウトする直前、俺は北村が今現在働いていると言う父親経営の建築設計事務所を眨伽俊B殬I別電話帳(タウンペ福─驇冥病⑺杀臼心冥谓êB設計事務所で、しかも北村の父親が経営と言うと???ああ、あった。「北村建築設計事務所」。恐らく、これだろう。場所は長野自動車道の松本インタ隶Д螗袱1kmほど南。松本駅からは松本電鉄上高地線に仱盲4つ目の駅、大庭駅から程近い場所にある。

 大庭駅で電車を降り、数分歩いた所に北村建築設計事務所はあった。事務所へと蓿曜扭ぐ长坤栴}はここからだ。俺は名前だけとは言え北村の事を知っている。しかし、向こうは、俺の顔どころか名前すらも知りはしない。受付で彼を訪ねた事情等とても言える訳も無く、はてさて、どうやって北村を呼び出そうか?と思案していると、事務所から一人の女性職員が出てきた。俺は、すかさず声を掛ける。

「あのⅳ工撙蓼护蟆
「はい、何でしょう?」
「こちらに北村康隆さんは、お勤めですか?」
「はい、おりますが」
「今日は出勤しておられます?」
「ええ、中におります」

 これで北村がここに勤め、今、目と鼻の先、事務所の中にいる事がハッキリした。

「実は、僕は彼の学生時代の友人でして、所用で枺─殚L野へ来たついでに、松本に帰っていると聞いていた彼を訪ねて来たのですが???」

 俺の口から咄嗟(とつさ)に嘘が零(こぼ)れた。まあ、「嘘も方便」と言うし、これ位の嘘なら神様も許してくれるだろう。

「康隆さんのお友達? 枺─椁铯钉铯对Lねて来(こ)られたなんて、それはそれは???あ、ちょっと待っていて下さいね。今、本人を呼んできますから」

 これで、何とか北村を事務所から引っ張り出す事が出来る。

 暫くすると、事務所から一人の男性が出てきた。日焼けのせいで顔が多少い⒁娨櫎à韦ⅳ腩啢馈1摔贝澶胜韦

「あの⒈贝蹇德·丹螭扦工俊
「はい、そうですが???失礼ですが、あなたは何方(どなた)ですか? 事務の者からは僕の友人が訪ねて来たと聞いてきましたが???」
「すみません、それは嘘です。僕は枺─槔搐蓼筏繚h波羅響資(かんばら…きょうすけ)と言います。あなたが知らない人間です」

 尚も怪訝(けげん)な顔で俺の事を見ている北村を見ていて、漸(ようや)く思い出した。10月10日、土曜日、北罚Ц咝∥荬瞬搐蓼盲靠亭沃肖艘姢款啢馈ig摺い胜ぁ¥妊预κ陇希浚浚勘摔ⅳ蓼丹

「失礼ですが、北村さん、あなたは10月10日、土曜日、北罚Ц咝∥荬夭搐蓼椁欷蓼筏郡瑜停俊
「いいえ、僕はそんな所へは行っていません」

 最初から「はい、そうです」等と認める筈が無い。しかし、俺は一度見た顔は絶対に忘れない特技の持ち主だ。あの日、北村は確実に北罚Ц咝∥荬摔い俊

「そんな筈はありません。あなたは10月10日、北罚Ц咝∥荬夭搐蓼盲俊
「泊まってなんかいません。罚Ц撙丐庑肖盲皮悉い蓼护蟆:韦蚋鶔嚖摔饯Qめ付けるんですか?」
「実は僕には人には無い特技がありましてね。一度見た顔は直ぐに覚えて絶対に忘れないんですよ」
「???」
「僕は北罚Ц咝∥荬钎啸ぅ趣筏皮い啤ⅳⅳ稳栅猡ⅳ饯长摔い郡螭扦埂¥饯蝺Wが初対面にも関わらず、あなたの顔を見て直ぐ思い出した。つまり、あの日、あなたは確実に北罚Ц咝∥荬夭搐蓼盲皮い郡妊预κ陇胜螭扦工琛
「???」
「ただ???あなたの名前は恐らく宿帳の中から見つけられないでしょうね。何故なら???恐らく、あなたは他人の名前で泊まったからです。そして、その人の名は『耍麤g俊英』。摺い蓼工俊

 耍麤gの名を出した途端、北村の顔が急に強(こわ)ばった。

「北村さん、反論しない所を見ると、やはり僕が言った事は正しかった訳ですね?」

 ハッと我に返った北村が尚も否定する。

「僕は何も知りません。耍麤gなんて言う名前は知らないし、その人の名前で北罚Ц咝∥荬夭搐蓼盲恳櫎à猡ⅳ辘蓼护蟆H稳诉‘いです」
「そうですか?」
「ええ」
「それじゃ、失礼ですが、あなたの写っている写真を一枚お借り出来ませんか? それが無理なら、僕の携帯電話のカメラであなたの写真を撮らせて頂けませんか?」
「何故、そんな事する必要があるんですか?」

 北村は自らの動揺を悟(さと)られまいとするかのように、多少威圧的に大きな声で答えた。

「その写真を上高地インフォメ伐绁螗互螗咯‘と涸沢小屋のスタッフに見せて確認してきます。そうすれば、全てがハッキリしますから」

 北村は追い込まれた為か、額(ひたい)に大粒の汗を浮かべている。間摺oい。北村が耍麤gに成り済まして涸沢小屋と北罚Ц咝∥荬夭搐蓼盲郡韦馈

「あなたは、耍麤gさんが書いた登山届を、恐らくは、あなたの『義理のお兄さん』である深山明夫さんを通じて手に入れ、10月9日、金曜日、上高地インフォメ伐绁螗互螗咯‘へ出しましたね。そして、その日、耍麤gさんに成り済まして涸沢小屋へと泊まり、翌日、北罚Ц咝∥荬丐馑{沢さんとして泊まりましたね。摺い蓼工俊

 深山の名を俺が口にした為か、北村は更に大粒の汗を額に浮かべている。そして、北村は一瞬の間(ま)を空(あ)けて口を開いた。

「あなたは警察の方ですか?」
「いいえ、僕は北罚Ц咝∥荬螀gなるスタッフです」
「でも、最終的には警察へ届ける訳でしょ?」

 観念したのか、それとも開き直ったのか? 北村は、おもむろに意外な事を口にした。

「あなたは色々眨伽椁欷郡瑜Δ扦工⑺{沢と言う男が一体どんな人間だったのか、ご存じなんですか? あいつは???あいつは殺されても当然の事をしたんですよ???」
「!」

 耍麤gが殺されて当然とは一体どう言う事なのか? 耍麤gと深山、そして、北村との間に何があったと言うのか? ひょっとしたら、北村節子の自殺と何か関係でもあるのか?

「それは一体どう言う意味ですか?」
「話したくはありません」
「あなたの奥さんだった節子さんの自殺と何か関係があるんですか?」
「これ以上、お話しする事は何もありません! 失礼します!」

 北村は一方的に話を打ち切り、事務所へと戻って行った。

 独りその場に残された俺は、登山届の謎と言う最後に残されたトリックが解けたにも関わらずスッキリしない。それは、北村が口にした「耍麤gは殺されても当然」と言う言葉が、妙に心に引っ掛かったからだ。

「耍麤gは一体何をしたと言うのだろう???」

 俺は北村から投げ掛けられた言葉の意味を知る為、そして、今回の事件の全ての謎を解く為、深山との直接対決を決意した。

第12章 殺意の時限爆弾

 北村と別れた俺は、午後1時、松本発新宿行きのJR特急ス雪‘あずさに仱辍4日ぶりに枺─丐葢搿?证椁献钺幛摔胜毪扦ⅳ恧ι钌饯趣沃苯訉潧Qをしなければならない。

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