好き≠恋(日文版)-第6章

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「お、おかえりなさい……」
　顔を合わせたのは初めてだったので、健人は小さい声で義父にそう言う。そして、いつも通り、母の前、歩の隣の席について視線をテレビに向けた。
　流れているバラエティ番組からは、笑い声だけが響いてくる。霞んだ視界では、人の顔がはっきりとは見えない。
「じゃぁ、みんな揃ったし。食べましょうか」
　コップにお茶を注いだ母が、笑顔でそう言う。それを合図に、健人は箸を手に取り食事を始めた。始めは、歩と義父が仲良く会話をしていた。それに母が加わり、時折、健人に会話を振ってくる。それに相槌を打ちながら、健人はあまり会話に入らず、ひたすら口に物を撙螭扦い俊�
「あぁ、そうだ。そう言えば、進路相談があるんだって。夏休み前に」
　会話を全く聞いていなかった健人は、その言葉に顔を上げた。触れてほしくないと思っていた健人の気持ちなど知らず、歩は笑顔で母に話しかけている。それを聞いた母は「もうそんな時期なのね」と、仄かに笑いながら健人を見た。
「二人は、どうするつもりなの？」
　健人の目を見ながらそう尋ねた母は、二人と言いながらも健人に聞いているようだった。味噌汁を口にしながら、健人は「まだ考えてない」と簡潔に答えた。全員の視線が、健人に注目する。
「え�‘、健人は大学に行かないの？」
　隣にいる歩が意外そうに声を上げる。大学へ行くことも考えてはいるが、働くことも考えている。それがまだ決まっていないから考えていないと答えたのだが、3人は容赦なく健人に答えを求めようと伲鼏枻蛲护�付ける。
「健人君は頭が良いから、是非、大学に行くべきだと思うよ」
「そうよ。せっかく、特待生なんだから。推耍Г趣�だってもらえるんじゃないの？」
　次々と振ってくる言葉に、健人は何も答えなかった。どうして、そうやって意見を押しつけてくるのか、健人の中で静かに怒りが溜まってくる。
「林ノ宮で成績上位なら、ほんと良い大学行けるよ」
　義父が押すように言うと、「あら、そうなの？」と母が驚いた声を出す。林ノ宮が進学校だと言うのは知っていたようだが、偏差値が高い学校だと言うのは知らなかったようだ。
「歩も、中学の時は成績悪く無かったもんな」
「中学の時はって言わないでよ。真ん中らへんから落ちないだけでも、マシだって。頭の良い、お兄ちゃんがいると弟は大変だなぁ」
　からかうような声が、耳をついた。健人は限界だった。これ以上、この場に居たくない。この家に、居場所は無い。人の意見も聞かずに、いちいち押し付けてくるのが鬱陶しい。楽しそうな会話をしている三人を遮るように、健人は茶碗の上に箸を置いた。
　パシンと張り詰めた音が響き、会話はぴたりと止んだ。
「……とりあえず、まだ決めてないから」
　健人はそれだけ言うと食器を片づけ、シンクへと撙证取弗匹攻惹挨坤贰⒚銖姢筏皮�る」と言って逃げるように階段を駆けあがった。
　痛々しいほどの視線を、早く振り切りたかった。
部屋へと入った健人を、追う足音が聞えた。駆けあがってくる音を聞いて、健人はついてくるなと心の中で叫ぶ。誰が入ってくるのかは想像できず、母だったら良いのにと希望にも似た考えを持っていた。
　酷いことをしてしまったと、自覚はあった。機嫌が悪いのを前面に出すことは無かった。けれども、人の気持ちも知らずにズカズカと土足で入り込んでくるのが、気に食わなかったのだ。健人は考えを持って居ないわけではないのに、考えを持って居ないような扱いが余計に苛立たせていた。
　なぜ、みんなで大学を勧めてくるのかは分からない。きっと、歩が大学へ進学するから、健人も進学すると思っているのだろう。ましてや、この辺りでは有名な進学校に通っていることも付属する。あの場にいた全員が、健人のためを思って言っていることだって、頭の片隅では理解していた。
　けれども、許せないのが本音だ。知らずのうちに作られた家族に馴染めず、もがいていることに気付いていない。再婚したことを無理やり受け止めたことは、心の中で傷になって化膿している。じゅくじゅくと腐りかけた心では、誰の言葉も心に響かなかった。
　コンコンと、少し大きめの音で扉が叩かれる。ベッドの上に座っていた健人は、無視することも出来ずに扉を開けた。
「……はい」
　俯き気味に扉を開けると、いきなり肩を掴まれて後ろへと後退させられる。押されたことにびっくりして健人が顔を上げると、少しだけ不機嫌そうな顔をした歩が健人の前に立っていた。肩を掴まれた手を振り払おうとすると、もっと強く肩を掴まれた。
「なんで、あんな出て行き方したの？」
　健人を追及するような低い声が、歩から発せられた。その声に少しだけ驚き、健人は「とりあえず、離せ」と言って歩の手を振り払った。今度は簡単に、歩の腕が離れて行った。
「……なんだって良いだろ」
「良くないよ。二人が凄く悲しそうな顔をしてた」
　歩は健人の目を見つめて、咎めるように口眨�を強くした。歩に言われなくても、二人が悲しそうな顔をしていたのは健人の目にも映っていた。しかし、ああして啖呵を切ってしまった以上、謝ることも出来ずに出て行くことしか思いつかなかった。それぐらい、健人の心の中では怒りの火が牎�っていた。
　それにも関わらず、ズカズカと人の中に入ろうとしてくる歩が、かなり鬱陶しく思った。
「分かってる。それぐらい」
「……分かってんなら、なんでそんなことすんだよ」
　呆れたようなため息とともに、そんなことを言われ、健人は我慢してきたことが爆発しそうになった。母親に言われるならともかく、歩にこんなことを言われる筋合いは無い。両親には悪いことをしたと思ったが、歩に悪いことをした自覚は無かった。
　ふつふつと、怒りが込み上がってくる。それに頭痛を覚え、健人はこめかみを指で押さえた。
「もうちょっとさ、言い方考えた方が良いよ。健人がそんなつもり無くても、人を傷つけることって沢山あると思う」
　言われた言葉が正論だったのも余計だった。今まで耐えて来たものが、今、静かに爆発した。健人は拳を握って、いつもより強い目で見てくる歩を見上げた。
「……何でお前にそんなことを言われなきゃいけないんだよ」
　地を這うような低い声が部屋に響いた。言いだしたら止まらないと分かっていても、口に出せずには居られなかった。所詮、嫌っている歩に対して何を言おうが構わない。そう思っていたこともあったから、余計だったのだろう。
「どうして、気を使うのが俺ばっかりなんだよ。ふざけるな。自分の意見を人に押し付けたりするな」
　健人は顔を上げて歩を見た。被害者は自分しか居ないと言うような言葉に、目すら動かさずに歩は健人を見下ろしていた。その目が、無性に腹立ち、込み上がってきた怒りを倍増させる。
「鬱陶しいんだよ、お前。いちいち、俺に関わったりしてくるな！」
　大声を上げるつもりなど無かったのに、感情に流されるように怒鳴ってしまった。その健人の怒鳴り声を聞いて、歩の眉間に皺が寄った。睨みつけるように健人を見下し、歩は鼻で笑う。
「あのさぁ」
　口眨�はいつもと同じようだった。軽く、語尾を伸ばした話し方も嫌いで、自然と拳を握る力も強くなる。
「被害者は自分だけだと思ってんの？　健人に巻き込まれた人は、被害者じゃないの？　健人は自分が被害者だと思ってるみたいだけど、父さんだって景子さんだって健人の被害者なんだぜ」
「……どう言う意味だよ」
「いつもいつも、健人の顔色を伺いながら生活してる。それに気づいてね�‘のかよ。自分だけが被害者だと思って、みんなに気を遣わせて、ほんと傲慢だな」
　どんどんと口眨�が悪くなって、声も低くなっていると言うのに、健人の顔色は一つも変わらなかった。あのムカつくへらへらとした笑顔は、この部屋に入ってから一度も見せていない。それが妙に、すっきりした。
「俺はそんなお前が、大嫌いなんだよ」
　口元を釣り上げて、歩は笑った。大嫌いと言って、健人を見下ろす目は嘲笑っている。ふと、健人の頭の中に映画館へ行った帰り道での歩が過ぎる。健人のこと好きだからと言って、見せたあのへらへらとした不格好な笑み。
「昔から、ずっと大嫌いだったんだよ。お前のこと」
　そう言われて、健人は迹�得した。今まで、どこか引っ掛かるような笑みは、歩がウソを吐いていたからだ。健人のことを好きだと、本当は嫌いなのに好きだなんて言うから、あんな不格好な笑みを向けていたのだ。
　でも、どうして、嫌いなのに好きだなんて言っていたのか、健人には理解できなかった。健人は嫌いだから、歩に対して冷たい態度を取っていた。しかし、歩は全く逆だった。健人のことを嫌いながら、好きな素振りを見せていたのだ。仲のいい、兄弟のふりをしていた。嫌いなら嫌いで、健人と同じような態度を取っていれば、健人が毎回歩に対してイラつくことは無かっただろう。それを分かって上での、行動だったのだろうか。健人は冷たく見下している歩の目を、ジッと見つめた。
「人がさ、下手に出てるからって、あんまり眨�子にのんなよ。やってることが毎回、ガキみたいでからかってて楽しかった。……なぁ、健人。裏切られた気分？」
　試すような声が健人の耳を掠めた。耳元に近づこうとした歩を、片手で振り払い健人は歩を睨みつける。
「……別に。迹�得した」
　挑発には仱椁壕菠�に答えると、歩は鼻で笑って健人の腕を取った。少し力を込めて、健人の腕を握ると痛そうに顔を顰める。しかし、表情が変わらず、焦れるような焦燥にも似た感情が込み上がってきた。強気に睨みつけるその目を、一度で良いから歪ませてみたかった。泣いて崩れる姿を見たかったのに、健人は変わらない。むしろ、嫌っていたことなど前から分かっていたと言わんばかりの、見透かした態度に今度は歩がイラついてしまう。
「何、迹�得したんだよ」
「ムカつく笑顔がやっと消えたからな。お前の笑顔見るたびに、すげぇムカついてた。へらへらとした顔、気持ち悪いんだよ」
　握る手の力が一段と強くなり、健人は歯を噛みしめる。掴まれた左腕はさきほどから悲鳴を上げていて、振り払おうとしたが歩がそれを許さない。それでも、あのへらへらとした笑みを消せたことだけは、嬉しかった。
「そうやって、俺を拒もうと必死になってるのを見てるのが、一番楽しかったよ。健人」
　腕を引っ張られ、無理やり近づけた健人の耳元で歩は囁く。それを聞いた健人が、目を見開き右手で殴りかかろうとしたのを片手であしらうと、憎悪を込めた目で睨みつけられる。体格的に歩の方が優位で、健人の思うようには動かせなかった。
「……離せ」
「イヤだね」
「気持ち悪いから、早く離せよっ！」
　叫び声にも似た声が、部屋を響かせた。振りほどけないことを知りながらも、腕をがむしゃらに振る健人を見て歩は楽しそうに笑った。感情を堪えられない子供のように、形振り構わず喚いている健人を見ているのは楽しかった。しかし、歩の見たい表情にはならなかった。それが少しずつ、心の中を侵食していく。
「健人が嫌がってることを、俺がやめるわけないだろ？」
「……ふざけんなよ。嫌いなら関わってくるな」
「嫌いだからこそ、好きなふりをしててあげたんだよ。いつも俺を見るたびに、嫌そうな顔をする健人を見るのが楽しくて仕方無かったんだから」
　笑いながらそう言う歩の顔を、健人は先ほどから変わらない表情で見つめた。へらへらとした笑みが消えて、バカにして楽しんでいるような表情は無理をしているようには見えない。歩の行動に反応すればするほど、その笑顔はどんどんと深くなっていく。抵抗することが無駄だと分かり、健人は腕に入れていた力を抜いた。
「……暇人だな」
　抵抗をやめて、吐き出すように言うと歩の目じりが少しだけ動く。
「お前が俺を嫌ってくれていて丁度良かった。俺はもう、お前となんか関わりたくないから、関わってくるな。互いにそれが一番だろ」
　怒りが徐々に冷めて行くのを、健人は感じていた。嫌いと言われてから迹�得してしまった部分が多く、裏切られたとかそんな感情は一切抱かなかった。嫌がっている顔を見たいから、好きなふりをしていたことも迹�得できたし、へらへらとした笑顔に摺�和感を覚えていた理由も知ることが出来た。互いに気持ちを確認したところで、することは一つだ。
「家族の前では今まで通り。学校には……、俺が先に行くからお前は自分のペ�‘スで行けば良いだろ。その辺は言い訳考えておくし、お前もそれには協力しろよ」
　命令するように言うと、歩の手がゆっくりと離れて行った。向けられる視線は、健人に対する興味を失ったようで何色にも染まっていない。空虚とも言える。
「そうだね。嫌いって言った以上、健人をからかって撸Г证长趣猡膜蓼螭胜い筏汀�
「だったら、早く荷物持って部屋から出て行けよ。1秒でも、お前の顔なんて見ていたくない」
　そう言ってから、健人はようやく歩から視線を逸らした。歩の前から退いて、テ�‘ブルの上に置きっ放しになっている教科書とノ�‘トを雑に掴んで歩に突き付ける。どうして、こんなことになってしまったのか、健人も歩も分かっていなかった。互いに傷つけることしか知らず、嫌っていると言う事実から傷つけることしか思いつかなかったのだ。歩は健人に突き付けられた教材を受け取ると、騒いでいたことなど悟られない様、静かに扉を開けて同じように扉を椋Г幛俊�
　隣の部屋から扉を椋Г幛胍簸�響いてから、健人は息を吐き出す。忘れていた呼吸をゆっくりと意識して、思い出すように息を吸って吐くを繰り返す。たどたどしい足取りでベッドまで行くと、布団に身を預けた。
　緊迫した状態は精神を擦り減らし、これから勉強しなければいけないと言うのにそんな気も起きなかった。掴まれた左腕から、ズキズキと痛みが発生する。
「……裏切られたなんて、思ってねぇよ」
　呟くように言って、目を椋Г袱俊Ｊ激幛�ら、歩のことなんて信じていなかった。だから、裏切られたなんて全く思わず、どこか迹�得した自分が冷めているようで気持ち悪いと思った。昔はもう少し、人間らしい感情を持ち合わせていた。それなのに、今ではその片鳎Г猡撙护皮い胜ぁＤ赣Hの再婚が、かなりトラウマになっていることに無理やり気付かされた。感情を失ってしまうほど、健人はショックだったのだ。
　歩に裏切られたことよりも、そっちのほうが健人にとってショックだった。
　もしかしたら、一生、誰も信じることなんてできないのかもしれない。そう思うと、奈落の底に落ちて行く自分の姿が頭に浮かんで、健人は頭を振った。
　掴まれた左腕はまだ、痛みを健人に訴えている。それと同時に、映画館で掴まれた左手も共鳴するように健人に何かを訴えていた。
　歩と言い合ってから、1ヵ月半が経った。二人の関係はあれから変わらず、家の中では仲の良いふりをして、それ以外では一切、口を利いていなかった。健人は朝早くに家を出なければいけなくなったと母親に言うと、母は何も疑わずに「そうなの」とだけ言って、歩と一緒に行かないことに口は挟まなかった。二人の間に何かあったなど、疑っても居ないのだろう。それは嬉しくもあるが、腹立つものもあった。
　7月の初めにある期末テストへ向けて、健人は勉強をしていた。期末テストは特待生の資格がかかっている。順位を落とすわけにもいかず、2週間以上前から勉強に励んでいた。
　歩と関わることが無くなった今、余計なことを考えずに済むのが、健人にとって一番良いことだった。
「……健人君って、いつも勉強ばっかりしてるよなぁ。まっじめ�‘」
　窓際の健人の席とは反対側の、廊下側の席にいる歩の所へ、ジンがやってきた。ジンも特待生だが、休み時間中に勉強をすることなど無い。クラスの中にいる特待生は3人。健人と、ジンと、太陽。健人と太陽は休み時間も勉強をしているが、ジンだけは歩の所へ行って下らない会話をしていた。
「知るかよ……」
　携帯を弄りながら、歩は健人へ視線を向ける。眼鏡をかけて、教科書か何かに目を落としている健人を少しだけ見つめて、すぐに目下の画面へと視線を移した。数秒見ているだけでも、込み上がってくる嫌悪に耐え切れなくなる。本音を言い合ってから、健人に対する感情は日に日に増す一方だった。そんな歩とは裏腹に、すっきりした顔をしてい